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日志

日本抽象雕刻家-流政之(日语)

(2009-04-04 18:17)
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〈雲の砦Jr.〉 2004 黒ミカゲ石

 1923年、長崎に生まれた流政之は、少年期に父から古流武道教育を受けた後、刀鍛冶、零戦のパイロットを経て戦後日本各地を放浪しました。55年には日米戦没パイロット追悼のための木と鉄による作品で初個展を開き、本格的に彫刻の制作を始めます。
 石との出会いは56年、北陸で子を亡くした母親が石地蔵を運ぶ姿に感銘を受けた時のことでした。58年、石の研磨した面と割った面をそのまま生かす独自の技法“割れ肌”に開眼。やがて四国の庵治に渡り、62年現地の若い職人らと“石匠塾”を結成、66年から庵治東海岸にスタジオをつくり始めます。
 63年に渡米し、世界博日本館に石の壁画を制作してからは、日本とアメリカを往来、75年にはニューヨークの世界貿易センター前の広場に〈雲の砦〉を設置します。この作品は2001年のテロの直後も奇跡的に形状をとどめていましたが、人命救助のためやむなく取り壊されました。
 一方で北海道との関わりも深く、81年に奥尻島に〈北追岬〉、近年では東大沼の流山温泉、JR札幌駅のJRタワー、JR函館駅などに次々と作品を設置し話題を呼んでいます。
 日本人古来の感性を現代的な造型で表現したそのモニュメンタルな彫刻は、現在に至るまでアメリカや日本各地に設置されています。本展は、ミカゲ石、ブロンズ、鉄、木による代表的作品を一堂に集め、流政之の造型世界の魅力を紹介します。 

 

 [9.11と〈雲の砦〉]
   〈雲の砦〉は1975年、ニューヨークの世界貿易センタービル前の広場に設置された作品。依頼から7年後に完成し、素材は黒ミカゲ石で、幅10m、高さ4.3m、奥行5m、重量250t。三角錐がふたつひねられて連結されており、流が「浮上三角形」と呼ぶ、両端が浮き上がる形状だった。
 どの方向からの視覚でも常に光と影の部分が鮮明にみえる形状は、上空からの視線にも耐えうる力強い表情をみせていた。
 2001.9.11の同時テロの際、ビルの真下にあった作品の安否は当初定かではなかったが、UPIカメラマン撮影の写真において、救助活動をする消防士の背景に黒いふたつの三角の影がみえ、テロによって破壊されたのではなく、救助活動のため撤去されたことが明らかになった。
 本展の出品作〈雲の砦Jr.〉は幅5mで、1/2の大きさ。北海道を守る平和の砦として再制作された。 
 

 

1 刀と飛行空間

しのぎは 静と動のことなる生命をひとつにする結び
反りは曲線にあらず 直線が静から動にうつらんとする道なのである 
《造型口伝》 流政之
   
 幼少期に古流武道教育を受けた後、刀鍛冶に入門、また第二次大戦では零戦のパイロットを務めるなど、彫刻を始める以前の流の経歴は、きわめて異色といえるものであった。しかしそれらの経験は、後の流の「ものをつくる」人生に確実に影響を与えていく。
 
 
〈飛〉 1955 木 

〈肥後武者 〉 1967 黒ミカゲ石   1955年、東京での初めての個展の副題に、流は戦没したパイロット仲間を追悼し「飛行空間のなかに・・・」とつけている。この時の出品作<飛>の上昇するような動きや、後の<雲の砦>などの巨大彫刻群における上空からの視点は、戦中の飛行生活に由来するものと想像できる。また、<肥後武者>をはじめとする空間を突き刺すような反りをもった刀のかたちは、流独自の審美眼が作刀を通じて養われたことをうかがわせる。
 

 

2 〈ナガレバチ〉と浮上するかたち

ととのいし形 人の心引くことなく
かけたる形の間にこそ 人の心はひきよせられる 
〈ナガレバチ 〉 2004 黒ミカゲ石 
《造型口伝》 流政之
 

 日本刀の美学から生まれた流造型の「反り」の線は、70年代頃からさらなる展開を迎える。〈ナガレバチ〉は単純なフォルムのうちに線の緊張感と、のびやかな曲面がもたらす開放感を同時に備え、より上方へ向かっていくエネルギーを感じさせる。
 1971年にIBM東京本社に設置された<のぼり太鼓>がこのシリーズのはじまりで、現在までミカゲ石、大理石、ブロンズなどさまざまな素材で展開されている。この形状は三味線のバチを想起させるが、作者は女性の太ももの間の空間を実体化したものだといい、「影の彫刻」と呼ぶ。
 
  

〈愛の儀式 〉 1979 ステンレス   光と影、陰と陽など、対極にあるふたつの要素を同時に作品にもたらす考え方は、流の造型を支える概念のひとつとなっており、たとえば上下で同じかたちが向き合う<愛の儀式>では、中心でねじることによって、どの方向からみても光を反射する面と影になる面が同時に現れる仕組みをもつ。また、うねる形状は底面の一方を台座から離し、素材の重量感を奪って空間に浮き上がらせる効果をも与えている。
 その効果は「浮上三角形」と作者が呼ぶ、ふたつの山がねじられて横につながる<雲の砦>においてもみとめられる。 


3 〈サキモリ〉

サキモリは 死を待つことのない 人間の青春の原型
人間のみるべき形と みせるべき心の組合せを 人々に伝えるのである 
   《造型口伝》 流政之

 

〈サキモリ 〉 1995 ブロンズ   ≪サキモリ≫は流作品の代表的形態であり、30年間にわたって流が探し求め続け、1984年に最初の作品ができあがったという、ひと形の抽象彫刻のシリーズである。この一連の彫刻も、ミカゲ石、木、ブロンズなどさまざまな素材によって造られている。
 古代、唐に対する防備として九州地方に配置された無名の兵士「防人」に由来するテーマである。海をのぞんで立つサキモリは、内臓をくり抜かれたように胸部に方形の穴があけられ、その穴を海からの風が吹き通る。栄光を受けることもなく、屍となって消えていった無数の兵士たちの命を受け継ぎ、サキモリは大地に屹立し続ける。 


4 愛のかたち

つくる手は やわらかく肌にふれ
手をかたくしては 心の中にとどかないものなのである 
〈明日の肌 〉 2000 大理石 
《造型口伝》 流政之
 
 90年代後半より制作され始めた≪MOMO≫のシリーズは、女性の大腿部をそのまま切り取ったような形状をもつ。≪ナガレバチ≫が「影の彫刻」だとすれば、これらは女性を象徴的に実体化させたもの。流の人生哲学は常に「男」を由緒としているが、女性のもつふくよかなやさしさへの限りない愛情の表現がこうしたかたちとなって表れる。
 流の造型世界には日本刀の美学から生まれて≪サキモリ≫に至る研ぎ澄まされたかたちの対極に、こうしたエロスやユーモアを備えた愛のかたちが多くみられる。
 
 また流は放浪人生ともいえる日本各地との関わりのなかで、各地の方言や言い回しを冠し、それぞれの地方を象徴するかたちを彫刻作品にしてきた。これもまた「地方の用心棒」を自称する流の、地方文化や人々への愛情表現なのである。
 

〈北追岬〉 1981 彫刻公園北追岬 奥尻島 
彫刻公園ストーンクレージーの森
 東大沼流山温泉

 
 

NANMOSA 流政之展より

北海道立近代美術館:http://www.aurora-net.or.jp/art/dokinbi/index.html より

 

参考:http://www.nagaremasayuki.com/

 

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